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風水で開運するのか?

我々、和泉堂がお客様より「何か役に立つものはございますか?」と申し出がありましたら、唯一「和気修方」ならございますが・・・と即答させて頂いております。

何かお役に立つもの・・・とは、お客様の意は「開運」。運を上げるに何か良いものはございますか?とお聞きになられているわけです。占法も星の数ほどあれば、開運法も星の数ほどあります。厳密には「勝手に開運と名を付けている品物、行です。」

代表的なものは以下になろうかと存じます。

1.パワーストーン系
2.置物・掛軸系
3.財布など小物系

4.家相・風水
5.恵方まわり、お水取り
6.パワースポット巡り
7.祈祷、まじない

これより、更に流派に分類し、細分化すればまだまだ溢れるほどの表現が出てまいります。

私どもプロの目線で申し上げれば、まず小物系やら置物系、パワーストーン至る「何かを身に付ければ、とか、何かを置けば」的なことで「開運」します。という宣伝はこの業界に薬事法なるものがあるならば、ひっかかるのではないでしょうか。まず前提に「開運」の定義をしっかり認識した上で身の丈にあった目的、効果を謳うことが良識的であると思います。

当方も再三申し上げている開運についての言及でございますが、字の名の通り運が開けると書いて、「開運」であって、道が開ける、事態が好転する、事が成就するなど、人それぞれに、ケースによって様々に当てはめることが出来る大変広義な言葉でもあります。開運と名を付けるならば、まず押さえるべき原則(条件)は、「本当にそのことが直接の原因(起因した)と断言できるのか?」という点でしょう。これが何でもない疑問でありながら、検証できる術を持っている人や検証できる方法は現代は皆無であるということでしょう。

昔から「ゲン担ぎ」や「縁起物」ととらえ、これを持ってから、これをしてから調子が良くなった・・・と入口出口においても「個人の想い」を優先してきたのがこの開運業界の歴史でございます。果たして、このままあやふや(曖昧)な学問で良いのでしょうか?と言うのも、正当な開運法にはしっかりとした概念があり、また概念(理念)に則って効果も絶大にあるものです。従いまして、殆どがまやかしであったり、たまたまであったり、人の努力が大半であったりすることが多くあるわけです。

「いや、それでも良いことがあったから・・・」

と個人の想いを自他共に尊重される方はそれはそれで宜しいとも思いますが、こういうケースでも後が続かない、後で後悔するといった人が多くいることも知って下さい。「気休め」「癒し」に酷評をつけれる立場でも権利もなくて、そのもの(開運法)自体がそれだけの価値であったとしても本人の趣向であれば、誰も責めることは出来ないわけです。しかし、問題はお客様がそれについて過剰な評価をしている、間違った認識を信じ切っている、多大な費用をかけている、それで周りが迷惑がかかっている・・・となると、これは、このままほっておくわけにはいかないわけです。それもこれもメディアから始まり、開運業者、占い師の全く未熟な認識と思い込み、嘘、お金儲けの成れの果てが、現状の混沌とした「浮き足立った状態」になっているのです。

まず、運についてですが、これはホームページ内、ならびに様々なところで公言、主張しておりますのでここで長文にわたり、説明は致しません。ポイントをまとめてみます。

Q 運を上げるためには?

① 人間性(徳)の向上
② 自然力

①については、何をどうやっても欠かすことのできない人の生業みたいなものです。良い人生を、豊かな人生を送りたいと願うならば、人間力を磨く、鍛える、成長することは三度の飯の如く一生のテーマとするわけです。しかしながら、世の中は一歩外へ出れば7人の敵がいると言われるくらい厳しいのが社会です。また人はどこまでも怠慢がある生き物、濁りやすいのも人の性です。両輪があってはじめて車は走るわけで、人間力だけに頼る生き方は時に挫折だけを味わうことにもなりかねません。そこで、出てくるのが自然力、自然を活用した運を作り出す方法です。人の営みは、一人では生きていけるはずもなく、「お陰様で」ここまで育てて頂きました。自力と他力の兼ね合いが人生であるように、運も自力と他力の兼ね合いのバランスで成り立つようになっているようです。ここでご注意頂きたい大事なポイントは、では運とは自然から頂くものなのか、作り出すものなのか?という見方ですが、天人地では天運、地運、人運と分けております。この場合の自然からという立ち位置は、天地の恵みを指します。従いまして、頂くものでもあり、作り出すものでもある。が正解です。しかし、正当な開運、正しい開運の概念に則るとした場合は、和泉堂の立場は天運に重きを置き、地運を重きに置く開運法は、限定付きでとらえております。ですから、「運は作り出す」が正しい表記としたいわけです。天運は実は頂くものではなく、「作り出す」が正しい解釈なのです。反対に地運は「頂くもの」で誤りはないものとします。


Q 自然力の運とは?

① 天運、地運がある。
② 開運に直結するのは天運。
③ 開運に関節的に関わるのは地運。

さて、和泉堂の立場から話を進めると、天運こそが開運に直結するとした場合、この「作り出す」とする意味合いをそのまま開運法(仕組み、やり方、概念)に照らし合わせる必要があります。逆に「頂く」といった意味合いを既存の開運法に照らし合わせすると自ずと優先順位(削除法)が決まってくることが分かります。

まず、置物、掛軸、パワーストーンなどは、提供側の言い分をそのまま採用するとして「そこに宿る気、パワー」を頂くとする定義があるわけです。従いまして、これらは元々小さな単位である上に更に「頂く」とした立場の開運法です。

次に、パワースポット系ですが、これも規模が一見大きくなっただけで迫力がありそうですが、「そこに漂う自然の気を貰う、頂く」場所であって、またそれはど真ん中の地運となります。

祈祷、おまじないですが、これは頂くより、どちらかと言えば「作り出す」的なニュアンスに聞こえますが、これは天運でも地運でもなく、極端に申し上げれば天人地の人に値します。これを運と呼べるかどうかが問題であって、例えば、外科手術は運の意味合いと比喩的に相性が合うのか?という観点です。運は永続的でかつ必要な時に必要なだけ舞い込む、使える、メイン銀行的な存在のようであることが条件、仕組みであるので、その場の治療的回復が運を作った、頂いたという解釈はいささか分野が違うように思います。ヒーリングと言われるものであったり、気功と呼ばれるものも同様です。

次に方位学ですが、これは「作り出す」テーマと「頂く」テーマが混在している分野です。

先に挙げました恵方まわりやお水取りなどは、我々のブログ(水鏡庵ブログ)などでも再三申し上げております気学のカテゴリーに入ります。まず開運法を論ずる前に論理破綻、原理破綻している点をもって、問題外とさせて頂きます。

次に、方位学の中で最もポピュラーでもある風水についてです。一般の方は風水について理解しているようで、理解出来ていないあたりが本音のところではないでしょうか。流派も多数存在し、見方、やり方は様々です。地理から設計する、坐向で設計する、それはそれは何がより正しいか?は素人では分からないと思います。

さて、まず和泉堂としての立場で風水をどうとらえているか?と言いますと、結論から申し上げれば正しい「開運」というには、あまりに距離がある方法であると認識しております。

多種多様の開運法がある中で、繰り返しますが、「自然から作り出す運」であるという概念と「天運こそ開運に直結する運である」という点から言えば、「方位学」を他においてありません。方位学こそが限りなく、もれなく天運に通ずる開運法であるとも思います。風水、風水と言いますが、厳密にいえば方位学の中に風水はあるわけです。

では、なぜ、風水は天運に直結せず、正しい開運と言い切れないのか?という根拠ですが、これは和泉堂のホームページ内コラムでも詳しく掲載しておりますので、そちらをご覧頂きたいのですが、それは「静」か「動」かの差です。方位学とは距離を有してこその方位学であり、運が作り出せるとしている概念を尊重しております。コラム内では運を発電システムに例えておりますが、磁石とコイルの関係にみられるように、動いて、「動」があって電気生ず、運生ずです。風水は台風の目のように動きのないものをつつくわけです。簡単に申し上げれば、人が動いてはじめて運が生じる、作り出せる、そして貯めることが可能になる発電、蓄電システムです。従って、僅かでも家まわり、家の外に方位を求めて、そこに人の活動が加わることで運の方程式は成り立つのであって、「静」は〇に近く、〇にいくら何を掛けても、〇ないし微量なわけです。

従って、簡潔に申し上げれば、風水はどこまでも「静」の開運学であって、天運は生じる事は期待出来ないということです。

風水に価値を見い出すとして、採用すべきは地運であるとは思います。小春日和に窓を開ければ良い風の匂いが入るのと同様に「良い気」が入る。ことはあり得ると思いますが、それは地の気であると・・・また、風水はどちらかと言うと、良い気を取り入れる側面よりも、「悪い気」を入れないという対策としてより力を発揮するようにも思います。

「清潔感」を保つことは、開運に間接的に関与するものです。体を綺麗にすること、トイレを掃除するといった悪鬼(悪気)を貯めないことは大変重要な心構えであります。

加えて、良い気も時折風に流れてくるとなると一層に香は増すわけでして、人の魅力も自然と上がるわけです。地の気、地運はそう人の魅力を上げる・・・浄化的作用はあるものと思われます。療養的であるとも言えそうですが、天運とは全く異質なものと、どうぞどらえて頂きたい所存でございます。

天運は資源同様、生成発展、造化には欠かせないものであります。資源なくして製品もなく、資金も生み出すこともできません。

天運(資源)の供給が絶え間なくあって、そして人(技術・人間性)が高まるにつれ質、規模が増し、資産が増えるわけです。天と人の掛け合いによって地(環境・資産)への循環していく流れが実社会における天人地、天運、地運、人運の関係と言えそうです。これはどこまでも実社会は「動」であり、「動」の概念に沿った天人地の役割としております。

産まれながらの・・・とした「静」における天人地、天運、地運、人運と混同するから、風水で開運した、パワースポットで開運した、パワーストーンで開運したなどと、因果関係を棲み分けできないままになっているわけです。

我々は、どこまでも産まれた瞬間から「動」の中で育ち、学び、前へ進むわけでして、与えられている財産も活かしながらでも、「作り出す」創造(造化)していくという姿勢と概念を大前提に置かずに物事をとらえ、一喜一憂していても、いつの間にか裸の王様になっていることや、資産を食いつぶすことになっていることも。

また、動における天人地、実社会における天人地の前提を踏まずに、運の認識をはき違え、過信しすぎると、自分の努力、自力の可能性さえ気付かず、蓋をしてしまうこともあるわけです。

すなわち、人世、目標に、夢に、現実に勇気と自信を持って進む上で、「自分の成長にピッタリ寄り添う、互換性のない運つくり、開運法を採用すべきと。」

それは、紛れもなく「天運」に直結する原理であり、それは今のところ方位学以外ないわけでして、それも「動」の概念「造化」の概念を有していることが必須条件であるという結論です。なお、方位学の有名なもので「奇門遁甲」がございますが、こちらについてはまた時期を見て論じてみたいと思いますので、今回のコラムでは控えたいと思います。

まとめとしましては、人に開運を施す場合は、その人の器、背景を考慮した上で本来は提案すべきものであって、それからの過程や一連の流れをよく考察した上で結果の検証もすべきであります。何でもかんでも当てはまる、適用するものではない。ということを知って頂きたいです。ここまでの内容を具備し、追求するのは、真剣に開運法を採用するお客様の立場で考え、論じていることを改めてご理解下さい。

既存の開運法で全ての人に適用するといった100%の開運法は存在しません。まして、それが正しい、本質的な開運法と呼べるのかどうか?の問題も大いに含んでいるという事実も。

しかし、天運は不思議なもので、その方が自身の人格を求めるならば100%適用する、作用するものであることも認識としてお持ち下さい。

よって、これからの開運法の棲み分けと歴然たる価値の認識と活用方法の健全化を願うところです。

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