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お散歩Blog①【高次元、あの世、霊界の思考実験】

堅苦しい牙向きだしの内容ばかりですから、たまに透のお散歩Blogとして、他愛ない内容でちょっとゆとりを。

◆ 思考実験。

高次元。いわゆるあの世とは?


既に物理学では、ひも理論から膜理論が市民権を得ています。理論上立証されてる最新のものは、(実証されれば、ノーベル賞でしょう。)我々の3次元(+時間の4次元)は、5次元に組み込まれた次元であり、世界である、と。


ここで、では、2次元、1次元は?となると、我々の次元に組み込まれているわけです。

2次元は平面なわけですが、この2次元の平面と我々3次元との差は何でしょう?

シンプルに申し上げれば、「高さ」であります。


我々の世界は、立体であるから、3次元と表現されるわけです。


では、ここで浅はかな思考実験ですが、2次元には、本当に高さはないのか?

という提議です。


高さが0であれば、百億、一兆重ねても、掛ける0は、0です。

となると、2次元は、3次元の世界では、無限に存在するわけです。


話は飛びますが、我々の3次元で、2次元とは一体何なのか?ということですが?皆さん考えられた事はありますでしょうか?

私なりに文学的に申し上げれば、以下になります。


① 3次元の概念である。

② 3次元の材料である。

③ 3次元の表現である。


①は、単純に、立体は平面の積み重ねであります。

②は、①が故に3次元の造形物の材料とも言えます。

③は、古くは、書物。我々は、全ての表現を平面的に表現してきました。※テレビやゲームも。


無理筋はご寛容をお願いします。


と、話を戻せば、2次元は高さが存在するのか、しないのか?ですが、私は、存在すると思います。


どの次元にも「次の次元の片鱗」はあるはずです。

「組み込まれてある」という定義に反するからです。

大半の2次元の人々は、高さがあることの認識は皆無であっても、高さを知る術はある。ということです。
こうなると、2次元世界は、無限であるか?という論は、表現が変わります。

3次元が無限、有限に関わる。となります。


もう1つの見方で言えば、人間1人を定量として、限りなく厚み0のぺちゃんこにした状態で、3次元の厚みまでもっていこうとするなら、天文学的な積み重ね数になるでしょうが、有限と言えば有限でしょう。

しかし、3次元の視力は、3次元であり、人は人であり、2次元が幾重にも重なっていようが、いまいが、支障はなく、物理法則にも何ら支障がないわけです。

では、我々の上の次元とは、どんな世界なのか?ですが、冒頭にも申し上げましたが、3次元と2次元との差は?非常にシンプルに申し上げれば、「高さ」と表現しました。

では、このように3次元と高次元(次の次元)と言われる次元との差は?


という提議は如何でしょうか?

シンプルに、何か一言で表される言葉があるように思います。


そして、その差の片鱗も、3次元、2次元の理屈で言えば、この世界でも感知、知ることが出来るはずではないでしょうか?


私は、占い業界の専門ですが、その範囲で見る世界や、思考実験を踏まえますと、あるシンプルな答えにたどり着きました。最初は、過現物理学の大テーマ「4つの力」の統合のいずれかの力の軸であるのか?とかからの考察も致しました。が、私は物理学の専門でないので、限界がありますし、根拠を説明出来る知識もありません。従って、これも、シンプルな見方で、追及した結果・・


「光」ではないかと。


光の高さ的なことではないかと。


光は、今、分かっている性質を遥かに超えた分野があるように思います。

光そのものなのか、重力やまだ知られていない粒子との関わり合いなのかは、分かりませんが、「光」の高さ、「光」の性質の差が、3次元と高次元の差とも言えるような気がします。

「波長」という表現、「周波数」という表現に変換出来るかもしれません。


1つ、体験として確信しているのは、光の速度(30万キロメートル/秒)を超えた存在(光的な存在)はある。という事です。

実際、早いのか遅いのか。そう感じてしまうのか・・?は不明ですが、間違いない感覚です。

これが、いわゆる片鱗ならば、包括して「光」の差と表現したいわけです。

我々が世界中に広めたい無相という技術は、設定次第で、森羅万象のあらゆる事柄が、雲のような、光のような・・もので、光の速度を超えて表現され、お答えとして返ってきます。一般的に、古くは、透視的、凝縮した見方であれば、色や映像、声なども・・


そうなると、高次元から見た場合、3次元は、こうなります。


① 高次元の概念である。

② 高次元の材料である。

③ 高次元の表現である。

3次元から見た、2次元解釈同様にとらえてみれば・・何か不思議と納得してしまいます。


全ては、繋がっており、同一であり、組み込まれてある存在ならば、あの世がどうとか、この世がどうとか、分けた考えは、この世(3次元)の理屈であるようにも思います。

2次元について、我々は、どう考えているか?と同様です。

存在を独立的や、固有には考えないわけです。


パラレルワールド、並行世界も妙に納得も出来ます。

3次元は、高次元の表現でもあるとしたならば、それも嫌に納得も出来ます。


そして、何次元まで存在するか分かりませんが、今、我々が察知出来る次元は、限られている。ということです。片鱗の範囲を広げた次元までです。


科学と人間の進歩により、ひょっとしたら、次元が自ずと上がるかもしれません。また、段々と上がっているかもしれません。

また次の時代には、更に上の次元の解析(感知)することも可能でしょう。


そう考えたら、「死んだらどうなる?」


は、全く愚問であります。

「生(生きる)の形が変わる」という事であり、次元の違う生き方をするまでです。従って、3次元の私は、死んだら終わりです。それまでです。真意は分かりませんが、次元が高い、低い関係なく、永遠なる変化と進化は、課せられた宿命のようです。そして、繋がり、組み込まれてある、としたならば、3次元の質が4次元に、5次元にも、どちらともなく、影響しあっているようにも思います。
ですから、個人においても、また地球そのものにおいても、今ここの質を上げることや、進化し続けることが求められるわけです。

3次元、この世がどうのこうのと言う理屈ではなく、連動であり、同一でもあり、しかし、高次元が編纂出来る範囲もあるわけです。
と、結論から言えば、神の国があったとしても、今の寿命を、3次元の生き方を全うし、質を少しでも上げることに集中することに変わりはないわけです。


ただ、進化あるのみなわけです。


全ての次元は関わり合いながら、切磋琢磨に進化の過程を同時に歩んでいる。とも言えます。


思考実験の末、思うのは、宗教や思想を超えて、また少し次元の高くなった地球、人類の在り方を求めたくなるわけですね。



この論の中で、唯一の不明瞭な点と言えば、「何故、全ての次元は進化をし続けるのか?し続ける法則を持っているのか?」

は、分かりません。


これは、今の次元では、察知出来ないでしょう。

死んで、次元が変わっても、ひょっとしたら分からないかもしれません。

神(全次元、全宇宙そのもの)さえも、理屈上、この法則に則っていると考えてしまうので、神さえも分からないのでは?と思ってしまいそうです。


しかし、この進化の法則は、二百%事実です。

ですから、まぁ、それは、それとして、義務教育のように平然と捉えて、今ここを、生きるようにしています。
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