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奇門遁甲・八門遁甲への問題提起。

中国で生まれた方位学の中で、風水を静の方位学とするならば、動の方位学は奇門遁甲と呼ばれるほどに、日本においても大変有名な方位術でございます。方位術としての地位もさることながら、占いの側面も大変重宝されておりまして、特に中国では、方位というより、占いに特化して活用されています。日本は複合ではありますが、どちらかと言うと方位術として活用されております。

と言うのも、この奇門遁甲は大変複雑でして、流派も多数存在し、やり方、求め方も多岐にわたります。特に日本は伝統的な奇門遁甲の面影だけ残し、全く異質な独自の見方を軸にとっている流派があります。(挨星法)。後に言及しますが、方位の吉凶を定める、方位の象意を求める。ということは、一見、何の疑いもなく素通りしてしまうほどに方位学の常識をついた内容でありますが、これは言葉の誤魔化に気をつければなりません。まず、最初におさえておきたい点ですが、冒頭に申し上げたように、奇門遁甲は大変複雑で、難解です。専門用語の乱立もあり、一般の方はまず理解することは不可能でしょう。といっても専門家自体も・・・ここは断言させて頂きますが、『肌感覚』で全く理解してない中で小難しく知識を知識でカバーしながら研究しているのがこの学問です。

そもそも気というもの全てを人類科学がどれだけ進歩しても、定量化し、性質を解明しきれるとは思えません。従いまして、現代では開運と名がつくもの全てに対して言えますが、正当性を訴える論あれど、詰まるところニアピン論でしかないことをご理解の上、包括的な見方でとらえて頂きたいとも思います。

だからこそ、提供側(占い師・風水師)は実直に誠実に自分の信じる占法や開運法に向き合って頂きたいし、素直な解釈を求めたいところです。

そういう面では、まず難解過ぎるというのはどうなんでしょう。ここで言う難解とは、意味が違いまして、学問の世界は、どの学術論文も確かに素人から見れば難解でございます。しかし、そこに携わる人ら(学生、専門家)にとっては、その学術論文が辻褄が合うか、合わないかの判断が一応出来る。とした前提がありながらの難解と、奇門遁甲の原理と求め方そのものに、辻褄が合う、合わないの基準となる対象がないということもあり、難解である。とは、異質です。

この計算式で、このやり方で吉凶定む。これで気を取れると言われれば、それまででして、原理を検証する原理がありません。

あるとするなら、二つです。

1⃣人知を超えて、気を観れる、感じることが出来る人に託す。

2⃣統計的にあらゆる立場の、特に庶民の方達で数十、数百人規模で、半年、一年単位で実施検証する。

ではないかと思います。


しかしながら、現状だけでも問題提起として、質問したい点は山ほどございますが、先程も申し上げましたが、原理をつく原理がないということで、開運という本質的な概念論に則っているかどうか?が要の議論になりましょう。余談ですが、最近話題のスタップ細胞同様、原理は言い分なわけで、言い分が通る通らないは、最後は追試、検証のみ。開運法も出来れば、1⃣を有する良識人が2⃣の第三者機関を設けて、誠実に追試、検証すべきとも思います。

さて、奇門遁甲は、言わずと知れた古代中国の兵法、戦術として活用された方位術でございます。どこまでも、そのものに対するテーマや含蓄する概念に忠実に。となると、方位学は方位学としても結構ですが、開運という評価は妥当かどうかを議論したいところです。

兵法、戦術。

ここの始まりにつきるわけです。線が鋭い感触はどうしても付きまといます。開運法の本質とは円状。丸み、和の感触と具体的な手法も丸みがいります。まずこの感触から始まりたい。

また、地の利を単純に求めた上での設計(八門)とは、どうしても思えないのです。そもそも地の利の評価は再三にわたり和泉堂は訴えてきておりますが、そのあたりのニュアンスも掴んで頂きながらの展開です。大規模(テーブルマジックとイリュージョンマジックの差)な遁甲術としての確立も目指したわけですから、どこまでも戦術的な知恵や法則を取り入れたと思います。自然の力を純粋に求めるならば、その頃既にあった風水の原理を採用したはずです。論文ブームがあったとは言え、風水の原理を全て無視したとは考えにくいと思いますが、独自の学問を打ちたてたいとした学者連中のエゴイズムは多分にある作品でしょう。気を観、気を感じ、真理を見通す力がある人が作ったならば、このような足し算を複雑に重ねに重ねた網目構造の今の形にはなってなかったとも思います。

話は戻り、どこまでも地の利と人の知恵を足したものであるならば、やはり、やり方、取り方が鋭い線的である。を百歩譲っても、開運という定義と言いますか、限定条件を定めることは必要な気がします。

それは、お分かりの通り、これは戦術で遁術である。ということから、個よりも軍、群衆における活用設計です。もっと言えば、本来は陽動作戦でもあるから、誰かが囮に、犠牲になることもあって、勝利です。群を対象にと言っても本質を突いた使い方は出来るのか?とも思ってしまいます。また、大軍対大軍の生きるか死ぬか、勝つか負けるかが戦術であります。これを例え厳しい社会と言っても、この日本で、片田舎で、日常的で使うとなると、時代背景や風土や空気感に違和感を感じるのは私だけでしょうか?

1⃣奇門遁甲は戦争専門。
2⃣個人より群。群より軍単位。

従って、あえて効果を求めるならば、個人の吉方位旅行やら、引っ越しがどうより、集団、または組織を複数有する会社が、まず目的が明確にあって、特には社運がかかる事業とか。において総力戦で立ち向かう場合において、『秩序、統率を保つ』ことに関しては一定の評価はしたい。けれども、これは開運ではございません。ここははっきりと申し上げたい。勝つか負けるかは、開運の定義に条項に入りますが、この一点張りでしか使えないのは、総じて開運と呼ぶことは出来ません。剛柔、そして中庸あって開運であり、繰り返しますが、概念と構造に円の丸みがあって本質的な開運法です。


と、ここまでは、特に八門遁甲にだけしぼった議論、問題提起でしたが、実際は中国式と日本式は全く異なるやり方でして、細かい『おまけ』を考慮するならば、はい、これが奇門遁甲です。〜〜遁甲です。とははっきりと紹介出来ません。

この『おまけ』が問題であり、結果的に根拠を示せない、扱う側も理解しているようで、理解出来てない曲者です。

挨星法(あいせいほう)は特に有名でして、日本式の代表格でもございます。私は何回見ても、また作り方を見ても、全く根拠を見い出すことが出来ませんでした。

本来は、開運法とはオーダーメイドでなければなりません。それには人知を超えた能力者でなければならない面もございます。

服のサイズでさえ、これだけ存在するのです。Sサイズを着れない人はどうあがいても絶対着れないのです。従って、計算式に当てはめて各方位の象意を算出したところで、そもそもが大変窮屈な博打的な面はあります。また、易経の概念や64卦を取り込んでいて、『あたかも』を装っていますが、これを作った人の思考や徳を問いたくなります。易を立てる、卦を出すとは静ではなく、動です。静に使うのは原理だけであって、方位の吉凶をはかる。方位の象意を求めることを、誰がどのような想いで、何のために。が抜けた中で易の64卦を当てはめて、あたかも象意を貼り付けても、それこそ服のサイズがSのみの店。とか、それこそ服自体ないとは言い過ぎでしょうか・・・。

易を立てると言うのは、儀式的なことも含めて一連の流れをもって、成り立つ。これをもって卦を成すです。太極を取ることも大事な要素であって、サイコロで易を立てる人が多くいますが、それこそ、サイコロでは易は立ちません。易を深く知らないのです。それこそ、この挨星法なるものも、サイコロ易的で、それよりも、上卦、下卦の出し方は言い分でしょうが、概念でも良いですから、腑に落ちる、納得がいく。といった説明が欲しいところです。陰陽五行説と同じように、後からひっつけた。これはこじ付けた感が臭います。十二支はまぁ置いといて、十干についてもしっかり説明出来ますか?私は無理です。暦の付箋的役割、数学的役割としては説明が出来ますが、運勢を観るといった場合やエネルギーを十干に求める解釈や性質があるとしたように求める使い方や、取り出し方をされると、パニックになります。エネルギーや性質、自然との関わりを求めるなら、天動説から地動説は動の関係、干渉においては180度違うわけで、暦を作成するくらいは天動説でも問題ないわけですが、運勢への実数としての干渉を探るならば、調整をしっかり加えているのかどうかも疑わしいわけです。十干そのものについてももっと根拠と理解の幅をつけていかなければなりませんし、強いては五行にも関わる問題提起です。

占い。としてのペーパー的な見方であれば、独自の着眼とやり方で構わないと思いますが、方位学とはニアピン論でおさまると言えど、開運に直接関与するある意味科学的な根拠を軸に持ってる感触がいります。八門の価値は先程述べましたが、ぱっと見は方位学の感触はするわけで、しかしこれがシンプルなところで大切なわけです。

足し算しすぎ。

これが、現代奇門遁甲の大きな課題であり、逆に本来の味を損ねている要因でしょう。挨星法だけではございません。その他にも気学でも概念として存在する八神、伝統的な奇門遁甲で言えば、九天星。当然、九宮(先天・後天)も計算上、概念としても使う派もあったり、二十四節気の巡りを方位の象意に変換させたり・・etc。

とにかく、手相の線を細かく意味付けするが如くの足し算式で結果、芯がぼやけることになるのが、奇門遁甲の成れの果て。です。まして、そのおまけの原理も根拠がどこにも見当たらない言いっ放しの都合式でもあります。『あたかも』は式として、関係として繋がるように見える、聞こえるからやっかいです。都市伝説の大半がそうでしょう・・。

方位学、開運方位学、造命方位学とは、シンプルにして、掛け算式であります。

複雑にして、足し算式は、世の真理から外れます。偽物は複雑にして、中身0のように、会社で言うところの『粉飾』。人で言うところの『見掛け倒し』。学者肌で言うところの『理論武装』。

が、全て当てはまるわけでして、どれも複雑にして中身0になるわけです。人はどうしても『見かけ』に騙される傾向があります。性善説は大変宜しいのですが、本物はいつの時代も、質素、シンプル、飄々(ひょうひょう)とした空気を出しています。

言われば分かる・・・しかし、どうしても見かけに流されるのは、この占い界、運勢学でも全く同様であります。

単純とシンプルとは違います。この差をよくご理解下さい。

スッと心に通る概念を有するものがシンプルでかつ掛け算式であって、尚且つ本物に近いものです。

複雑はあくまで信用の裏付けに持ってきたい。社長、上司に対する報告書は最初の一ページが結論。後の裏付けデータは読みません。それは過程のボリュームを示すもので、信頼度を高める根拠みたいなものです。しかし、複雑が信用度の裏付けになる場合とならない場合もあることも留意したい。この方位学の問題に近いのが薬事。薬の説明書は見ても理解不能。成分表を見ても理解不能。しかしこの下支えがあって、『〜が直接患部に作用するから風邪に効く、〜の効果が膝関節に効く。』として、確かに長い長い研究と臨床実験を重ねてようやく世に出せるまでになった薬は、命を繋いでくれております。しかしもう一方で、何の根拠もないのに効果を謳う、いわゆる薬事法違反のまがい物や、結果論プラシーボ効果である物は次から次へと出てまいります。これら全て、複雑な根拠を印籠に、あたかも理論を打ち出すわけです。悪気がない場合もあるので一概には言えませんが、思い込み、中には狙ってやる輩もいるので、要注意です。

ならば、どう見極めれば宜しいか?と言うことです。

我々のように人知を超えた見方(無相)が使えたら、正面突破しますが、世間はまだそこまでの市民権を得られてないわけです。薬事に限らず、その他暮らしに関わることは、消費者センターや法律やらで体制が整っていることや、原理を検証する原理を持ってるということで、時が自然と解決してくれます。はじめは騙された!と思うこともありますが、人生はこうゆう経験は付きものとした見方も・・・。

こと方位学においては、先程から申し上げておりますが、原理を検証する原理や、お手本が存在しません。ましてや、物理的に解明出来ない、見えないものを体系化しようとしているわけですから、だからどこまでもニアピン論と。

ただし、皆さんの為に断じて申し上げることがございます。また、断じることでこの業界に蔓延する百害を少しでも排除したいのです。

とにかく、開運法とはシンプルである。単純や複雑は偽物、効果薄しとみて。

ここに尽きますでしょう。

複雑と単純のセット代表が、インテリア的風水です。分かりやすいのではないでしょうか?オシャレや清潔感からもたらされる効果を開運とするのは害になります。

開運ではありません。断じて申し上げます。

財布やらパワーストーン、お札なんかは『単純』な部類に。パワースポットなども含めて単純と。

こう眺めて見ますと、世にある占法、開運法は、殆どが複雑、もしくは単純です。

その中でも時の天才がシンプルに取り出して、シンプルにして掛け算式。シンプルにして造化的。を編み出すわけですが、まぁ極々稀の出来事であって、それもその人のみが自得した、他が真似出来ないコツみたいなもので、ここが悩ましく、残念なところです。

かと言って、このままでは占いや開運法は知らず識らずの百害あって一利なし。誤魔化しの世界が続いていくことになり、特に日本において、劣化、衰退は避けられず、本物の概念や手法は、絶滅危惧種に認定されるようになるでしょう。

この負の流れをどうにかして食い止めなければならないと思っております。

小さな零細企業が大企業に勝る戦いになるわけで、吹けば飛ぶ中で、じわりじわりと勝機、好機をはかっております。

半面、これは闘いの側面はあるわけです。共存をはかれるところと、どちらかが否定され、淘汰される可能性は十分あるからです。けれど、覇権的に進んできたこの業界は悔い改める時期が来ております。今一度、日本を洗濯し候。ではありませんが、正に占い維新の幕末期とも言えるでしょう。圧倒的に幕府側の人口が多いわけですが、吉田松陰氏の草莽崛起のスローガンではございませんが、まさにそういった意味でお声を下さる方のご一報を心よりお待ち申し上げております。

石高も低く、村にもならないほどの小さな村ではありますが、近い将来、幕府と直接渡り合えるほどの力をつけてまいりたいと決意しておりますことを締めの言葉とします。
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