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スピリチュアルは実生活で使えるの?

よく、お客様から我々がこれまで口伝としてきた「無相」をいわゆるスピリチュアル系にくくって話をされる方がいますので、説明をさせて下さい。

スピリチュアルとくくられる話題は豊富です。一般的によく聞くのは、「守護霊」「ソウルメイト」「前世」とかでしょうか?

これらの表現は、造語ではありますが、諸説ある中で、そのような存在は実際的にあるのかないのか?ですが、スピリチュアルの専門家は、「ある」とした中で、その具体的な仕組みについて日々議論がなされています。私は、スピリチュアル専門家ではございませんのでスピリチュアル自体を具体的に論ずることはしません。ただ、一つ断言出来るのは、「あると思えば、ある」「ないと思えば、ない」ということです。

曖昧な表現かもしれませんが、真にそのような解釈であります。

しかし、実際、チャネリングをし、交信をし、声を聞き、ビジョンで見え・・と、公言される方々は沢山いるわけですから、「やはり、あるではないか!」と言われそうです・・・が、やはりどこまでいっても、それはそれで「ある」とした世界での、『あると設定した』見方での出来事、解釈、表現としかとれないのです。これは神様がいるか、いないかの話も同様です。

が、ここで矛盾のように聞こえますが、「あるかないかで言うと、あると思った方が良いようです。」

従って、このスピリチュアル世界は、「ある。と思った方が良いという価値」なわけです。

ない。とした世界より、ある。とした世界観が価値をより生むということです。
しかし、無相でしっかりと観念としてとらえると、「ある。とも、ない。とも言えない世界」であると。

非常に難しいですね・・。
ですから、「ある」として、「ある」ように様々に表現をされますが、それが全てであるといった解釈は、時に混乱を招き、異質なものへ変貌する危険性があるわけです。

ニュートン力学からアインシュタイン相対理論に常識が移行したように、スピリチュアルという世界観が確立されている様相もあります。では、今この段階で既成事実のように全て「くくって」しまって良いものなのか?と思うわけです。

確かにスピリチュアル世界に含まれる思想的な部分、哲学的な部分は、大変素晴らしいものがあります。私も若かった時に救われた言葉もあります。

しかし、いつもどこかに疑問と言うか、抵抗感がありました。「実生活、実社会、生き方、全てをスピリチュアル的に解釈し、スピリチュアルの世界で生きることが最も尊いのか?」と。

スピリチュアルとは縁遠いようで、最近はどこかリンクしがちな新興宗教や中には古くからの宗教も。発展途上国では、宗教の教えの下、文化や生き方そのものを軸としている国もあります。

だから確かに、尊い。

確かに尊いのですが・・・何でもかんでもスピリチュアル的解釈で、目の前の現実を捉えすぎるのはどうでしょう?

捉えすぎる。ということです。

実は深みにはまってしまうと、全ての現象をスピリチュアルにくくって、グループ化してしまう人が大変多いのです。以前、呆れた相談者がいまして、不倫や二股、三股を繰り返す男性のその相談者もその一人。その男性の言い分は、スピリチュアルな世界で生きると決めた。神の為に生きると決意した。特定の女性は作らない。救いのため、そしてこの関係は縁によって繋がっているわけで、縁を超えたものは求めるべきではありません。大切にしたい。けれど結婚という形は縁に逆らう。貴女とのテーマは他にある。と・・・。この言い分をこの相談者はしっかり理解しようとしていて、結局、この男性と繋がるか、繋がらないか?の相談なのに、カルマやらソウルメイトがどうのこうので、話が混乱を極めました。現実的な話が通らないわけです。かと言って、相談内容は、性丸出しのリアルです。矛盾を解消出来ないまま終わりした。この他の事例も今までいくつかありました。「上司と反りが合わないのは、前世で・・」とか。はっきり言いまして、全く無価値な解釈です。

例えば、それはそれとして、解決策に向けて、努力する心得と行動があれば良いのですが、前世の因縁で止まってしまう人がいます。思考停止とは正にこのことです。

本人は全く気付いてなくて、当然悪気もなくて、無意識にそうなりやすい人が多いわけです。新興宗教においても、最も尊い信仰心を大きく超えてしまうと同様の傾向がみられます。

なかには、我は聖人がごとく、スピリチュアル的な存在を目標にしている方もいます。究極はどんな生き方をしようが自由です。しかし、ここは日本です。

この恵まれた国で生まれた以上、社会にもまれ、私生活でもまれ、苦労し、叩き上げて、実践的に学び、成長する環境を軸に置きたいものです。偏見かもしれませんが、明日の、目の前の泥臭い事柄を一旦置いたような視力で物事をとらえてる人と接すると、「え?本気で向き合うって、泥臭いことも含んでますよ。」 とついつい言ってしまいそうになります。

そういう人に限って、実は恵まれてる人であったり、本当の苦労を経験してない人だったりします。※全員ではありません。中には辛い経験をした方もいらっしゃいます。何が救いになるか分かりませんし、そういった意味で、スピリチュアルや新興宗教の存在価値は認めております。

まぁ・・とは言うものの、全くの苦労知らずの煌びやかに彩った、高級ランチでスピリチュアル会に参加していそうな人に泥臭さは分かるはずもないですかね(苦笑)

どこまで言っても生活は、小さな単位の積み重ねであります。

小さな単位に使える表現であったり、時に泥臭かったり、時に深い優しさ溢れる表現であったり、と、まさに生活に根を張ったことが観えて、察して。が本物の力であり、これが何を置いても世にお役に立つことの真理であると確信しています。

百歩譲って言えば、憲法があって法律があるように、スピリチュアルを評すれば、憲法的立ち位置であって、「尊い思想」で充分でなかろうか?と思います。

我々は無相を使います。

本当に小さい単位も正確に分かります。

分かるということは、そういう情報を引き出せる仕組みが何かある。ということでしょう。

決して、守護霊や神様にお尋ねしている感覚は、全くありません。誤解のないように、お尋ねすれば、亡くなった方のメッセージも得られますが、どこか、巷のスピリチュアル的な解釈ではないような感覚です。

また、無相の専売特許とも言えますが、運勢(仮説の流れも)を観ることが出来ます。視覚的にです。例えばですが、お付きのマネージャーのようにピッタリと守護霊はいる。として、運勢や流れを守護霊に聞いたとしても、十中八九、毎回、毎回的確な未来の選択肢を答えてくれないと思います。明日、ラーメン屋にいくか、うどん屋にいくかを守護霊が答えてくれるでしょうか?馬鹿げた質問を・・と思われるかもしれませんが、また極端な例をあげましたが、世間の悩みはどんな深刻な相談でも、解決に向かおうとすればするほど、こういった小さな単位の選択や行動の連続です。

ですから、この見方が可能とする無相を知れば知るほど、イギリスはスピリチュアル先進国でありますが、近年、日本でもスタンダードになりつつあるこのスピリチュアルの世界観を超える真理、世界がある。とどうしても思ってしまうのです。かぶるイメージや表現はあったとしても、根本的に違う世界構造です。

とは言っても、だからこうだ!と言い切る事はしません。また、こんな世界です。と100点満点でくくる事は出来ないように思います。

これからも、この分野の研究は進むでしょうし、また違った世界観が発見されるかもしれません。遠い未来にこの分野における歴史研究において過去を探索した時、我々和泉堂が主張していたことが一理あった。と思われるように、またこれからの研究の最先端の情報として、千分、万分の一でも、記して置きたいと思う今日この頃です。
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