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一代の運命を観る。

無相でも、情熱と謙虚さと真心を込めて、まさに「真剣にして柔」をもって観れば、10年先、20年先の生き方、環境の優劣が分かる場合があります。分かります、とは言っても、過ぎてみないと検証のしようがありませんが、其仙流100年の歴史からもそう言えるのです。もう一方では、不思議とそのような確信を持ててしまう無相の玄妙さに恐れ入ります。

「え?では未来は決まっているのか?」と、これまでの和泉堂の主張と相違があるのでは?と思われるでしょうが、10年、20年先となると、何をしている?とか、どんな人といる?とかまでは殆ど分かりません。殆どとは、稀に観えることはあるそうです。極めて確率が高く、ある事柄において、大局的見地でも不動の因果律のみ反応した場合で、またお客様の真剣味と、こちらの真剣味が高いレベルで化学反応を起こさない限り、映像としては観えないようです。そういう観え方は、私は未だ経験はないです。

きめ細かい内容が分かれば、それに越したことはありませんが、10年先の生き様、環境が、陽か陰か?腹で生きているか、上っ面で生きているか?満ち足りた環境か、劣悪な環境か?が分かるだけでも、今の姿を基準にすれば、全てを見通した風に思えてくるのです。

ただし、全員にこの「風」を感じるわけではありません。10年先どころか、来週の動きでさえ曖昧な人(運勢)が、多くいることを留意させてもらいます。

この差は何か?

「一言」で言えば、人格(人間性)の成長度合と、人生への真剣度合です。不思議と今を観た時に「既に風が吹いているかの人物」は、10年先も、人(風圧、風質)によっては、20年先もその風の行方が追えるのです。従って、その風を観ようとすれば、"風には風"で、真剣にして柔、謙虚さの中に情熱、総じて真心をもって観ないと、観られないわけです。

未来は決まってはいません。しかし、人格と情熱が清く、正しく、美しくあれば、描く未来が待っている風に思えてくるし、それは既に手にしているかのように。しかも、このように未来が観える人は、決まって言えることがあります。そう「努力」を惜しまないを当然のように持っているということです。

真に世の中は上手く出来ております。

かと言って、100点の人は誰一人いません。何をもって、清く、正しく、美しくであるか?この風がどこまで繋がるのか?の判断は、その人でも、我々でもなく、これぞ「天の謀」であって、深く感じる、感じさせられる、何故か確信が持てる、持たされるので活断が出来るのです・・・としか言いようがありません。

昔は、大先生の所に鑑定をお願いにあがれば、「一代の運命」をズバズバ言い切られたり、書に起こし、授けられたりといった光景がよくありました。30年経って、本当にその通りになりました、という人、いや、全く違う人生だった、という人、随所は当たっている、という人、それはそれは様々でしょう。稀に神がかった仙人級の占い師は、正に神通力と呼ぶべき能力で、人によっての当たり外れも殆どなく、「一代の運命」の観る迫力を持ち得ながら、流れを、先の未来を、きめ細かく言い当てることも出来ました。(其仙流初代)

あえてですが・・・、例えば、我々の其仙流初代の伝説話を聞けば聞くほど、弟子の弟子の我々は、なんて無力な存在なんだ、と落ち込むこともしばしば・・・、そして同時に、時空の捉え方、いわゆる未来に対する認識について、頭を悩ませる時代が長くありました。人によっての当たり外れが極めて少なく、未来の姿を伝える。予知とか、運勢を観るを超えて、「予言」に近いわけです。当然、人によっては、観えなかったケースはあったとは思います。それにしても、断言する率(頻度)が他を圧倒していたことが驚異的です。

前記しております『未来の姿に確信が持てる条件』の人格と情熱の度合、清き風、互いの真剣味はどこ吹く風・・・、辻褄が合わない部分が出てくるわけです。

昔の人は、それなりに器量、徳量が備わっていたと評したとしても、これだけの密度で断じれるとは到底思えないわけです。

随分長い間、この謎と言うか、差を埋める研究を続けておりました。話を整理すれば、無相の信頼度は、既知の能力を圧倒します。これだけは断言出来ますが、無相においても、相談者が変われば、または質問内容によっては、先々の流れは当然バラツキがありますし、断言しきれない事が大半なのです。従って、人格も相談内容においても、清く、正しく、美しくあれば、断言出来る未来が観える、風の行方を追うことは可能であると。しかし、其仙流初代のように、後者のような条件以外でも断ずる事が可能であった、またそう観えていた事実からの出発で、この差は何か?の研究でもあります。

初代が書き残して下さった秘伝書を読み漁り、先代から聞くエピソードや格言を書き留めていくうちに、ある言葉に改めてフォーカスするようになりました。それは、

即神即相。です。

神は心とも。

この奥義がイマイチ掴めていませんでした。初代は、この即神即相をもって、お客様が座り、相談事を言おうとする瞬間、無言で手を前にし、ピタリとお客様の口を塞いだ後、今日ここに来た理由、置かれている状態、具体的な相談内容をスラスラ話始めるのです。即神即相とは、軽く目をつむり、パッと目を見開いた時に、お客様の相から全てを感じ取る奥義であって、無相の延長でもあり、応用でもあり、最上の無相でもあります。そして、最大のヒントとして伝えられているのは、『真心』がなければ観えない、と教えられてもいました。

とは言うものの、未だに理屈では理解出来ても、だから観えるものでもなく、生涯かけても、初代が体得されていた域までは、まず不可能とも思っています。(諦めではありません。)超えられない壁と言うか、男は女になれないみたいなもので、なりようがない、持ちようがない一種の能力、コツなる感覚器みたいなものです。

ここが分からない限り、予言的指南と、予知的指南の差を埋めることは出来ないかもしれませんが、大きなヒントとして出して頂いてくれております真心。はて、私が捉えている真心とは次元が違うのかもしれません。この真心に深遠な力が働くのか、何かに作用するのか、ここが体得出来れば、幅広い人々に対して、未来を示すことが可能になるのかもしれません。

スピードの向こう側とか、将棋で言う何百通りの手を超える一打とか、通常、私が観念する力で観える因果律を超える、いや、包括した先に現れる骨力あるベクトル(線)が観えてくるのでは?と、想像の域を超えません。

ただ言えることは、初代のような鋭い天才型もございますし、無相を広く人生指南に使えるように仕上げてきた先代も、まろやかな天才型でもあります。感動の幅、刺激の度合はお客様に任せるとして、本質に迫れば、どちらも同等の腕前であり、価値も差はございません。ですから、我々も先代のまろやかな見方を自信を持って継承しております。

単に無相の見方の違いから生じる観え方や、表現の差であって、お客様の目指すゴールは、初代の見方であっても、我々の見方であっても同様なのです。しかし、三代目として、先代の無相の域と人格をしっかり体得しながらも、初代の即神即相の奥義を、不可能承知でもいずれ片鱗だけでも使えるようになりたいと思っています。

はい、ずばり『一代の運命』を観ることにおいては、条件しかり、高いレベルの複合的な能力を有することが求められるものであることはご理解頂けたでしょうか?

いずれにしても、未来の運勢は、短期で見直し、軌道修正していくものでありたいし、現にこれが正しい運勢学の捉え方です。よしんば予言的だとしても、それは、大概がある面(事柄)においての超因果律ですから、それ以外の道や事柄は、自由でまた曖昧なところも多分にあります。だから、いずれにしても、です。

一代の運命とは言わないでも、そのぐらい迫力がある未来像の幾つかを知りたいお客様が多いわけです。私とて10年先、20年先の姿を観さして頂くこともやぶさかではございません。しかし、運命とはこれだけ深い仕組みがあり、そこに節度があり、そして類稀な能力の有無も絡みあって、大前提に互いの覚悟と真剣味があって、はじめて成立する、断ずる事を許される鑑定だということをご理解頂ければ幸いです。その上で、自分らしい人生とは何か?を探す旅路において、自分らしい人生設計図を作ってみて下さい。

一代の運命も一日にしてならず、今を繋げて大輪となる。









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