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あの世はない。の矛盾

◼️ 死ねば無になる。という論者の矛盾。

死ねば灰になるだけ、土に還るだけ、という人は案外多いです。あの世があるのか?ないのか?といった単純な議論でもあるでしょう。

あの世はある。とした論者も実際は間違った認識を持っていることが非常に多く、99%が誤認ではないでしょうか?はい、私も当ホームページ上にあるコラム/ブログや、其仙流ブログなどで何度か『あの世』『前世』について言及しておりますので、参照してみて下さい。

今回は少しテーマが違います。あの世の有無の判定を極めてシンプルに説いてみたいと思います。

今があるから過去、未来がある。

今という軸を、存在を、記憶を認識出来るがゆえに、過去が繋がり、未来も繋がるわけでございます。因果律とも呼びますが、誰もが理解を得る内容かとも思います。

さて・・・ならばです。

『無』とは、何もない状態です。意識も、記憶もない、存在がないわけです。

ここが全てです。

無は無であるがゆえに、因果律が働かず、過去も未来もないのです。

死ねば無になる。ならば今はなんでしょう?

今、すなわちこのブログを見ている貴方様の瞬間です。

終わりが「永遠の0」ならば、今も存在出来ないのです。

物理法則上においても、理屈も繋がらないからです。

確かに・・・、当ホームページブログ
でも書いておりますが、亡くなった後、太極→無極という過程を踏むことは述べておりまして、無極、すなわちここでいう『無』という認識で結構です。しかし、、、

『永遠の0』ではなくて、『0』です。

0は有を生み出せる『0』です。

無から有をつくる、と言われますが、正にその通りです。

繰り返しますが、我々が確信しています正しい輪廻論(前世)などの詳細はここでは触れません。其仙流Blogや透のBlogをご覧ください。

難しく考えないで下さい。

極めてシンプルなお話であって、私らしい閃きです。

「死んだら何も無くなる。」
「俗に言うあの世なんてない。」

と言う論者は、二通りあります。僭越ながら・・・、其仙流の主張に則った深い理解があった上で、この事を述べておられるなら二つとも大正解でしょう。しかし、ただただこの言葉通りの意味を主張される論者、更には、大自然への畏敬ではなく、不敬までも感じさせる論者に、ぜひ私が提起するシンプルなパラドックス、矛盾を答えて頂きたいと思います。

明日が永遠に0であるならば、今も存在出来ない。

それではどうぞ。




皆様、因果律はこの先も、貴方が死して尚続きます。

今も、この先も、その先々ずーっと、幸せに、豊かになるために貴方は生まれ、生きているのです。

だからこその苦労と学びと努力を怠ってはなりません。

幸せに、豊かになるは、宿命です。

宿命ならば、逆らうことは許されません。逆らえば、それは「道」から外れた生き方、すなわち外道です。外道は外道の因果のまま、ずーっとこの先も引きずることになります。

そうです、人間学を究めない限り、幸せにも、豊かにも成り得ません。

宇宙、天、大自然の哲理は、知れば知るほどに、感じれば感じるほどに、あまりに壮大で、畏敬せざるを得ません。ですから是非とも・・・、きっかけは私からでも結構ですから、無頓着に生きてきた、知らずに生きている人は、大自然に生かされて、生きていることの認識から始まり、人は人に貢献しながら、人間学を修めていくことは人類、生業の宿命であって、それは裏を返せば、幸せであり、豊かであるという認識に繋がれば幸いでございます。
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