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差別と区別。

差別と区別。

世の中は、一見不公平と思うことばかり。また不条理なことも沢山あるわけです。

実に此の世は住みにくい。

家柄、見た目、財力、人間性・・・。

国ともなれば、先進国、発展途上国との差は歴然とあります。

時に人は、鬼畜の所業と思えるほどの行いをしてきました。

近年では、ナチスのユダヤ迫害は典型的とも言えるでしょう。

いつの時代に産まれるか?どの国に産まれるか?どの家に産まれるか?

YouTubeで閲覧注意ではありますが、近々であれば、コソボ、ルワンダの実情を見れば、神は本当にいてくださるのか?と、疑わざるを得ない。

私の運勢学の始まりはこんなとこからでした。

何故、この世は天地ほどの差が生じるのか?と・・・。

宗教に入ったこともありました。

けれど、真理に近いとこに行っても、完全に腑に落ちる解答は得られませんでした。

やっと自分で、いわゆるそうゆう能力を使えるようになり、古書や聖書、誰かの論ではなく、直接その意味や価値を知ることが出来たのです。

天に何回もお尋ねしても、返ってくるのは、大らかな感情。

世界の戦争の歴史、血で血を洗う歴史、人道に反した行い・・・これらを、天はどう思っておられますか?と。

非常に大らか。そして、こうとも読み取れました。

『経験である。また、経験こそ全て』

なるほど・・。全ては経験によって、進化、成長していくものであって、国単位で見る、地域で見る、家族で見る、個で見ると、全ては交わりながらそれぞれの身の丈にあった『学び』があると。

ならば、この世は差別はいつの時代も、どの国、地域、場所にもあるけれど、差別の前には『区別』があるようです。

差別心は、あくまでそこに人の愚かさ、未熟さが作り出す陰の感情であって、それは、この区別から来る誤解、誤作動とも言えそうです。

何故、新興宗教からも、古典的な宗教からも、完全に腑に落ちなかったと言えば、この区別という明快な仕組みについての言い切りが曖昧であったのだと思います。

人とのお付き合いも、全く同様。

三流は三流の器でしかありません。幸せも、豊かさも、成功も、ひとまずその器以上は望めないものです。

それ以上の豊かさを望むならば、器を広げなければなりませぬ。

これは並々ならぬ苦労と努力と覚悟がいることは付け足しておきます。

従いまして、博愛主義であろうが、隣人愛であろうが、根本的にこの世は区別があるという認識はしっかり持って、世を見、世を憂い、世を是正する姿勢が大切であります。

南アフリカの希少部族は、近代化する中でもこれまでの伝統は守っていく、これが我々の誇りである、と。二極化する流れの中で、決して賢明とは思えない事柄でも、それは誰も介入出来ないことであるように、それぞれの器で経験する学びは、良し悪し超えて、良運、悪運超えて、条理、不条理超えて、見守るしかないものであって、時空を超えた愛でおさめていくしかないようです。

そこに本来は、差別はないわけです。

それさえも、交わりの中で与えらた学びと言えばそれまでです。

とかく、申し上げたい肝は、区別を尊重しながらのお付き合い、寄り添い、助け合いはあってもよろしいですが、

区別なき、全ては平等のスローガンに則った思想は世に憚れることを知って下さい。

そして、世の中は、YesかNOも非情なほどに存在することも。

現実を生き抜いていくだけ。の現実的なエッセンスを持ちたいですね。
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